2024.01.05
Personal Gym NINEの中村です。
今回は、「なぜ勉強が必要なのか」ということについて、私の経験や考えをもとに少し書いていこうと思います。
(少し長いです。)
①「やりたいことが見つからない」は知識不足。
②「何で勉強しなきゃいけないの?」
③大人も子供も一緒。
①「やりたいことが見つからない」は知識不足。
やりたいことがみつからない、目標がない、というのは知識や経験が圧倒的に不足しているからだと考えています。
当たり前のように日常生活を送っていてはやりたいことや目標を見つけることは難しいのではないかと感じます。
「勉強」とは机の上ですることだけが勉強ではありません。
人に会う、話を聞く、実践する、物事を深く考える、疑問を持つ、調べる、こういったこと全てが勉強です。
実際に私も20代前半までやりたいことなんかありませんでした。
22歳で就職をしてサラリーマンをしていましたが、ただつまらないという理由でちょうど1年で退職をしました。
そこから半年、だらだら毎日遊んで過ごしていたところ、東京のクラブで出会った人をきっかけにRIZAPに入社しました。
大学でトレーニングをしていたので、教えるくらい余裕だろと舐めた考えで入社したことを今でも覚えています。(この思いは入社早々に打ち砕かれました…)
RIZAPで最も私の大きな経験となったのが、普段では絶対知り合うことのない方々との出会いでした。
RIZAPは皆さんご存知の通り、高額で誰でも通えるジムではありません。(特に当時は)
そんな中、私が担当することになったお客様は、社長さん、お医者さん、役員さん、そしてその奥様やお子様…。
ついこの前までバスケしかしてこなかった、何の目標もない世間知らずの若造がそんな方達にサービスを提供するなんて今では恐ろしくて考えられません…。
しかし、そういった方々から聞く話は、私にとって衝撃的で新しすぎる世界でとても魅力的なものでした。
世の中には、どんな仕事があってどんな人に価値があるとされていて、そこでどれだけのお金が動いていて、自分はその世界でどう価値を生み出し生きていくのか、生きていきたいのか、そんなことを考えるきっかけをくれた出会いとなりました。
ここから、少しずつ「俺も自分で何かをやりたい」と思い始めたわけです。
このような経験から考えると、こういった人たちがいること、その人たちがどんな人生を送っているのか、どんな考えをもっているのかを知ることができたからこそ「俺もこうなりたいな」と考えられるようになったといえます。
知らなければ何も生まれていなかったし今の自分がなかったわけです。
この経験も私にとっては「勉強」でした。
知識があるから考えられるし、知識があるから見つけることができます。
知識がないと判断することさえできないわけです。
(関係ないですが、人間は知らないことには拒否反応を起こし感情的反論をするのも何だか不思議なものです。)
②「何で勉強しなきゃいけないの?」
これは、子供の頃誰しもが抱いていた疑問だと思います。
私は学校の勉強をほとんどしてきませんでした、、、。
特に暗記科目は皆無でした。
中学時代は、授業中に漫画・ゲーム・睡眠・バスケのボールで遊ぶ。
高校時代は、ほぼ睡眠時間となりました。
しかしそんな勉強嫌いでも一時期、唯一面白かったのが数学でした。
(といっても中学です…。理系とかそんなレベルではないです。高校からはなにをやったのかも覚えていません。)
数学ならちょっとはできるかなと思った理由は、色々暗記せずに公式さえ知っていれば問題を解くことができるし簡単じゃん。ということでした。
さらに、満点でなくても理解しているという表現をできたし、過程が遠回りでも答えに辿りつければ点数をもらえたので、それが私にとっては心地のよいものだったようです。
こういった感覚もあるので、少しでもやっていてよかったなと思ったりもします。
それ以外は、こんなことやっても社会に出た時にいつ使うんだよと思っていましたし、今でもあれは何のためにやっていたのかと思うことばかりです。
こんな勉強をしてこなかった自分がいたからこそ、今の自分がいるわけなので学校の勉強は必ずしも絶対に必要かどうか、本当の答えはわかりません。
それに私には部活があったので学校には行っていましたが、バスケットをしていなければ学校に行っていたかどうかも怪しいところです…。
ただ、「学校の勉強は必要か、YesかNoか」という問いに対いては「Yes」と答えます。
それはなぜかというと、世の中の構造やルールは頭のいい人にとって都合の良いものになっていることが多いからです。
身近なものであれば、所得税・市民税・健康保険料があげられます。
年金も含めると約3〜4割を働いた分から国に支払うことになっています。
働けば働くほど、支払う額が増える、、、私にはやはり違和感があります。
しかしこれは、エラい方達が決めたルールなので変えることができません。
勉強をしてこなかった私には、勉強をしてきた頭の良い人たちには勝てないのです。
私はかろうじて学生時代にバスケットを本格的にやってきて、今でも現役で拘りをもってやっています。
ですので、バスケットを通して学んだ考え方や、運動を通して得た知識・スキル・感覚がベースとしてあったのでなんとか社会でやってこれたと感じています。
しかし、これでバスケットをしていなかったらと考えるととても恐ろしいですね。
生意気でただ文句だけを言っている、社会に必要とされない人間になっていたかもしれません。
こうなると、誰でもできる仕事を低い賃金でやり続けるしかなくなってきます。
とても良い環境でバスケットができたのは本当に運がよかったといつも感じていますが、みんながみんなスポーツを本格的に学ぶことができるわけではないのが現状です。
しかし、勉強というのは誰しもに平等に与えられたもので、勉強しようと思えばいくらでもできます。
勉強をすると知識が増え、物事に対する判断材料が豊富になるわけです。
自分が自分らしく、自分が生きたいように生きれるチャンスがいくらでも増やせるのが勉強です。
勉強をしないと、今ある知識だけで物事を判断しなければならないので可能性が広がるわけがないのです。
私は運良くスポーツの経験が仕事となり生活できるようになりましたが、スポーツだけ一生懸命やればいいというわけでもないように思います。
単純にスポーツ一本で頑張ってもそれを仕事にできる人はほんの数%なのが事実なので、
“スポーツだけ頑張れば良い”
これはなかなかギャンブル性の高い人生となりそうです。
「勉強したって無駄、意味ない」
そんなことを思っていましたが、
人生そんなことばっかりだろ。何が当たるか、何がハマるかなんて誰にも分かりゃしない。でもだからこそ面白いし価値がある。
やって意味がないと思ったらやめればいいじゃねーか。
と、学生時代の自分に言ってやりたいですね…。
何かを学ぶということを純粋に楽しめるようになったのもここ数年の話です。
この楽しさを、学生時代から感じていた人たちがいると思うと羨ましいばかりです。
なので今は、これまで勉強してこなかった分を回収する意味も込めて色々なことにチャレンジしている真っ最中です。
いざ、何かやろうとしたとき
「もうちょっと勉強しておけばよかったな」と思うことはよくあります。
こういった経験や、考えがあるので学校の勉強は必要であると言いたいですね。
③大人も子供も一緒
子供にとって勉強が必要だということは②で書きましたが、大人も勉強をすることがあらゆる選択肢を生み出し幸せのレベルを高めると考えています。
大人になってからも、やりたいことが見つからない、何に一生懸命になったらいいかわからない、といった悩みはたくさんの方があると思います。
これも勉強不足なわけです。
たまたま夢中になれることが見つかればラッキーではありますが、そうも簡単にはいかないことの方が多い気がします。
であれば、世の中について勉強をする。
自分がどういう存在であれば幸せになれるのか、充実した日々が遅れるのか、誰にどう評価されたいのかを考える。
さらにそのためには何が必要なのか、何を学び何を手に入れる必要があるのかを考える。
そして行動する。
行動した一つが良い形となることばかりではないと思います。
しかし、それは絶対に無駄にはならず、ふとした時に意外な形となって返ってきます。
こうしたことを繰り返していくことが大人にとっての勉強なのではないかと思ったりもします。
偉そうに長々と書きましたが、私もまだ30歳…。
まだまだ未経験で知らないことばかりです。
お客様との会話で勉強になることも多々あります。そういった環境に身を置けていることに感謝して勉強をし続けていきたいと思います。
せっかく人間に生まれたんです。
頭をフルに使って、幸せで楽しい人生を送りたいものです。
私がパーソナルトレーニング以外に行っていること、今後チャレンジしたいこと
●バスケット選手のパフォーマンスアップ
・出張やジムでのトレーニング指導
→現在、数名の選手を担当しています。
・小中学生、高校生のバスケットのためのトレーニングや、体操教室、バスケスクール。
→現在準備中…
●犬の飼い主向けのフィットネスサービス
→実験的な活動は行なったのでどう形にしていくか模索中…
もちろん、体について、トレーニングについては日々勉強していますがこれはもう当たり前の作業になっているのでチャレンジとは少し違う位置付けとなっていますね。
勉強することがまだまだたくさんあってめんどくさく思うこともありますが、とても幸せなことです。
「やりたいことをやる」
簡単なようで難しい…。
私の父は音楽をやっていて、音楽の話をしている時が一番楽しそうです。
そんな姿を見ていたので、子供の頃から無意識に「好きなことをやる、やりたいことをやる」とはこういうことなんだろうなと感じていたように思えます。
以上、
たまにはこんなことも書いてみました。