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2024.02.09

右脛骨外顆プラトー骨折について。(心と体)

Personal Gym NINEの中村です。

2024年1月21日にバスケットボール中に右膝の骨折をしました。

入院・手術をして現在は退院し、リハビリ中です。

過去、いろいろな怪我をしてきましたが手術が必要な怪我は初めてです。

今回の怪我を通して様々な思いや考えが生まれたので、私と同じように手術を必要とする怪我をした人に向けて、また自分自身の整理のためにも書いていこうと思います。


まず初めに、私と同じように手術を必要とする怪我をして(手術前でも手術後でも)少しでも不安がある方はお気軽にご相談ください。
インスタグラムのDMでいつでもどうぞ。
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これは、今回コラムを書こうと思った最大の理由でもあります。
相談できる人、話ができる人がいるだけで救われることがあります。

私自身、色々な方からのメッセージや面会に救われました。
ですので、「どれくらい痛いですか、入院どうでしたか」など些細なことでもOKなのでメッセージをください。

では、表題について以下の流れで書いていこうと思います。


———————————-
❶怪我について。(内容や状況)

❷入院・手術

❸なぜ怪我をしたのか(心と体)

❹今回の怪我で感じたこと。

❺復帰時期や、今後の活動について。

❻現在の怪我の状態(随時更新) 現在術後2w
———————————-






①怪我について。

まず、怪我の内容についてです。
診断名は「右脛骨外顆プラトー(高原)骨折」です。
(けいこつ がいか こうげん こっせつ)

様々なケースがありますが私の場合は、ジャンプをして着地の際に相手選手の足に乗ってしまい膝が大きく外反し(内側に倒れる)受傷しました。

さらには、着地と同時に再度ジャンプをしようと床を押す出力をしていたので、より大きな負荷となりました。

脛骨の近位端は関節面を形成し、形状が平らになっていることから高原やプラトー(plateau)と呼ばれています。
赤丸の箇所。


脛骨プラトー(高原)骨折とは、この関節面の骨折です。

膝関節面に、過度の内・外反あるいは垂直方向の荷重が加わった際に、太ももの大腿骨顆部と、すね側の脛骨高原部が衝突すると、比較的力学的に弱い脛骨側が損傷を受けて発生します。

内側と外側に、2つの関節面があるのですが、外側の損傷が多いようです。


実は、同じ箇所を2023年11月18日に受傷していました。
相手選手がファールアピールのために故意的に転んだ体が私の膝正面に入り込み、過伸展→外反となり受傷。

その時は、関節の潰れや骨のズレはなかったので保存療法となり松葉杖+8週間のリハビリ期間となりました。

前回の怪我から、リハビリやトレーニングを行い順調に回復をしていて、運動後の痛みや腫れもゼロでした。

9週目に入り、徐々に対人練習(相手選手のいる実際の試合に近い練習)をスタートしてコンディションも良好。
徐々に強度をあげていっている中、10週目の2024年1月21日に今回の怪我をしてしまいました。

1月24日に試合があり、そこへの出場を目標として調整をしてきただけあって非常にショッキングな怪我となりました。

試合がなければもう少しゆっくり復帰ができたかなと今では思っています。




怪我の画像を載せる前に私のことを少し。

現在ストリートボールリーグのSOMECITYというリーグでプレーをしていて、このリーグが私の主なプレーをする場となっています。
(その他にも活動はありますが今回は割愛します。)

川崎のCLUB CITTA’という会場にコートを作り、MC、DJがいて360°お客さんが囲んだ状態で行う3on3のリーグです。
SOMECITY


毎年レギュレーションは変わりますが、年間に2回のシーズンがありリーグチャンピオンを決め、さらに年間を通して全国チャンピオンを決める大会があります。

私がこのリーグでプレーしたいと思い、目指し始めたのが23歳。
当時、所属していた5on5のクラブチームの先輩に誘われたがきっかけです。

リーグ入りをするには予選を勝ち上がらなけれならないのですが、これがかなりのイバラの道。
目指してから8年かかり、31歳でリーグ入りを果たしました。(現在33歳)

この8年は本当に色々なストーリーがあるので話を始めたら止まれないのですが、自分の人生で最も力を入れ続けているのがバスケットボールだということです。

なかなか一生懸命やってるんだなーと思っていただければOKです。



怪我の内容に戻ります。

11月の時がこちら。

赤丸が受傷箇所です。



こちらが骨折のケースですが、これを見てみると完全には折れてはいない+転位はありません。
よって手術はぜずに保存となりました。


そして今回の骨折がこちら。


はい、ぱっくりいってます…。

これは手術をしないと治らないレベルの骨折です。


といった感じが、今回の怪我の概要です。





❷入院・手術

次に、入院から手術、退院までのお話です。


1月21日(日) 受傷日

21:00
怪我 迎えに来てもらい帰宅(24:00)

→この日は、足を軽くつくこともできず数人に運ばれて外へ出ました。
迎えに来てもらい、家の近くについても車から家に(やや距離あり)入るのにどれだけ時間がかかったか覚えていません。

家からスケボーを持ってきてその上に座って進んだり、両手と左脚で進んだりとなんとか家にたどり着きました。
右膝が痛すぎてケンケンもできない状態だったので、どうにもこうにも思ったように動けない、、、。

家に着いた時は、我慢できる痛みでしたが深夜2:00ごろを過ぎたあたりから信じられないほどの痛みに襲われました。

翌日の診察まで耐えらるかどうか…。
そして耐えたとして、この足で家から出られるのかといったところ。

結果、限界を迎え救急車を呼ぶことに。

救急隊が到着。

予想では、すぐに運んでもらい救急病院に行くことになると思っていたが、緊急性がないと判断されたのか今病院に行ってもベッドが空いてないのでまた再度自宅に帰ってくることになると説明を受けました。

よって、救急隊の方達には帰っていただくことになりました。

救急車を呼ぶことが正しいのか不明で、まず相談窓口に連絡し状況説明をした上でのことだったのでなんともいえない気持ちに。。。

そこから数時間、痛みどめを飲んでam7:00〜2時間ほど睡眠。
少し痛みも落ち着き、病院へ向かうことができました。




1月22日(月) 診察+入院

15:00
整形外科にて診察。(レントゲン+MRI)

→私のお客様でもあるドクターに診察してもらい状況を確認。
笠井整形外科

手術が必要とのことで関東労災病院に連絡をしていただき、ありがたいことに当日に診察+翌日に手術が出来るように手配してくださいました。

手術まである程度の期間が必要で、数日入院してからの手術が通常です。ですので、それだけ復帰が早まるのですごく助かりました。


18:00 診察+入院
そのまま関東労災病院に送ってもらい、診察をして入院となります。
(そのまま入院だと予想していたので、ドライブスルーでマクドナルドを購入。これが手術前最後の食事でした。)


診察(問診+点滴装着)が終わり、主治医の先生と話をします。

1、入院期間について
2、MCL(内側側副靭帯)について

入院期間について質問をしたところ、いつでも退院して良いとのこと。
初めの診察時に3週間〜4週間と聞き、どうしたものかと困っていたので安心しました。

MCLを骨折と同時に損傷した可能性があるので、骨折の手術をしてから靭帯の緩さを確認し、状態によっては骨折とは別に靭帯の手術をする必要があるかもしれない。と説明を受けました。

実際は、術後のチェックで靭帯の緩みはなく2度目の手術は免れました。

話が終わり、間も無くして病棟へ移動。
病室のグレードによって料金が異なります。(保険適応外)

それがこちら。


個室はなかなかの金額となります。(これに加え無料の病室もあります。)
病室についての説明を受けた時には、入院が3週間と聞いていたので「とりあえず無料の部屋で良いです。」と伝えました。

それが幸いなことに、病室が空いていないという理由でCの個室での入院となりました。
(この場合、無料を希望していたので減免となり料金はかかりません。)

↓こちらがその病室




看護師さんより、
22:00以降の食事禁止。
水分接種は翌日8:00まで。

また、いくつかの書類を渡され記入するように説明を受けます。



このような書類に記入を済ませ、この日はそのまま就寝しました。




1月23日(火) 手術日

膝の痛みもあり眠りは浅く、朝5:30頃目が覚めます。

7:00
看護師さんが来て血圧等の測定、緊急なので手術時間は確定していないとのこと。

しばらくして、手術前のレントゲン、CT、麻酔科ドクターによる説明。
その時の書類がこちら。



麻酔と手術についての同意書です。

全身麻酔+神経ブロックでの手術となりました。

全身麻酔は点滴から行い、意識がなくなってから神経ブロック注射を行います。

麻酔や手術のリスクについて、なかなか怖い説明を淡々と説明してくれました…。

一旦病室に戻り手術時間を待ちます。

午後になり看護師さんより手術時間を知らされて、シャワー、髭剃り、手術着などの準備をします。

「その髭はアイデンティティですか?」
と急に看護師さんに言われ、「え?」と答えると、
手術の際にマスクを装着するから剃る必要があると説明され、
「まあ、アイデンティティっちゃアイデンティティだな」と思いながら、病院のコンビニで買ってきてもらったシェーバーで髭を剃りました。


15:00
手術手術時間になり、車椅子で手術室へ移動。

手術台に乗り、マスクをつけられ「ゆっくり呼吸しててくださいね」と麻酔科のドクター。

点滴から全身麻酔を行い、「このまま目が覚めなかったらどうなるんだろうなあ」と思っているうちに意識はなくなりました。



19:00
目が覚めます。

「おー、生き返った」と思ったと同時に右膝に激痛が。

脚の感覚はないのに痛みは感じるという不思議な状態。
包帯にアイシングマシン、その上から装具で固定されていました。



分かりにくいですがこんな感じ。

足首から膝上にかけて痛みがあり、特に脛に強い痛みがありました。

↓術後のレントゲンとCTがこちら。


↓プレートとチタンボルトが入っています。


そりゃ痛いはずです。

このボルトは1年ごに抜く予定です。



さて、ここからが問題でした。

痛み+固定という状態に耐えられませんでた。
(結果耐えるしかないのだが。)

右脚の固定、左腕には点滴、PCAポンプ、指先にパルスオキシメーターという拘束感がなんともいえない苦痛。

↓これがPCAポンプ。いわゆる痛み止め。



ネット上の説明だと、
“経静脈的PCA(IV-PCA)ではモルヒネ塩酸塩水和物やフェンタニルクエン酸塩等オピオイドが使用されることが多く、硬膜外PCA(PCEA)ではアナペイン やマーカイン などの局所麻酔薬単独もしくはフェンタニルとの混合液が使用されることが多いでしょう。”

とありました。看護師さんがやたら「麻薬」といっていた理由がわかりました。
(意識が朦朧としていたので、本当に言っていたかはなんとも、、、。)

ただ、おそらくこのPCAボタンの影響で翌日の昼過ぎまで目がしっかりと開かず意識がはっきりしませんでした。

↓これがパルスオキシメーター。動脈血酸素飽和度(SpO2)と脈拍数を測定するための装置です。



痛み止めの飲み薬、点滴での痛み止め、PCAボタン、そして眠剤という中で、何が効いていて何が効いていないのか分からない状態でした。

意識は朦朧としているが、痛みははっきりと感じていて眠ることはできない上に脚を動かせない。


実は、私は非常に軽度のチック症という症状があります。
分かる方もいらっしゃるかもしれませんが、私はまばたきに現れます。

片側の目だけぎゅっと強いまばたきになったり、頬も動くことがあります。

ここまでは周囲も多少わかる範囲かと思いますが、まばたきに加えて肩や腕、脚など体の一部に力が入るということもあります。

ビートたけし氏の肩をすくめる動作が有名かと思いますが、あれもチックですね。

あれに似たように体に力を入れることが多々ありまして、自分自身のバスケの映像を見ると、左肩をよくすくめています。

ストレスを感じるとこのような動作が多くなります。
プレーをしている時はある程度のストレスを感じているのでしょう。
シュートを決めたあともやっている時があるので、全てが悪いストレスではないのではと自分では認識しています。
どちらかというとリラックスしたい時に出ている気がします。

ストレスが強くなると腕や脚の筋肉に力を入れたくなるようで、それが術後の耐えられない要因の一つとなりました。

痛みもそうなのですが、この衝動が出るが全く動かせないというダブルパンチでだいぶやらました。


頭の中では、怪我をした時のシーンが繰り返され「あの時こうしておけば」「なんで俺が」というマイナスな思考ばかり頭をぐるぐる。

このあたりは、❸なぜ怪我をしたのか(心と体)に関連しますが、
どうしても納得できない、ただ全て自分の責任だということ。
分かってはいるものの素直に受け入れられない自分がいました。




1月24日(水)

7:00
何度か看護師さんを呼び、痛み止めをもらったりしているうちに朝がきました。

痛みは全く引かず、手術による発熱、薬による脱力感が続きます。
朝食が運ばれてきたのですが、手をつけることがれきませんでした。

「食べれると点滴とれるんですけどねー」という看護師さんの冷たい一言に傷つきながらベッドで横になっていました。

8:30
看護師さんから排尿はあったか聞かれます。
手術が終わってから尿意がなく一度もトイレに行っていませんでした。
尿意が全くありません。

私は、前日の8:00から水分を摂ってないことが原因だと思っていましたが、エコーのようなもので膀胱内を調べると800ccの尿が溜まっていました。

「さすがに出さないといけないので頑張ってみてください。」と言われ、トイレに30分こもっていましたが全く出る気配もなく、結局”導尿”をすることになりました。

尿道カテーテル法とは、
ラテックス、ポリウレタン、またはシリコンのチューブを尿道から膀胱に挿入し、尿を膀胱から排出する方法です。

要は、その場でパンツを脱いで目の前で管入れられて尿が出きるのを待つ、ということです。

なんとも言えない気持ちになりました。

「1,200ccも出ましたよ」と元気に言われ、「あー、それはすごいですね」と真顔で答えました。

(その後からは尿意を感じるようになり自力で排尿できるようになりました。よかった。)

手術内容によるとは思いますが、カテーテルは術後も繋がったままのケースもありその場合は自動で管を通って排尿することになります。
しばらくして管を抜くという流れになります。
どっちがいいんですかね。


お昼頃になって主治医のドクターがきました。
「どうですか?退院できそうですか?」

私が手術が終わったらなるべく早く退院したいと言っていたので聞かれました。
「さすがに無理そうです」と答えると、
笑いながら「そうですよね」と。

そこで、内側の靭帯に問題なく二度目の手術はしなくて大丈夫だと伝えられました。
痛みを知ってしまったので、手術が必要ないとわかり本当に安心しました。

昼食もスルーをして、14:00を過ぎたあたりからやっと目が開くようになってきました。

じっとしているのが限界だと看護士さんに伝えると、気分転換にと病院のコンビニに案内してくれて、痛いは痛いが何かしている方が楽だと感じるようになりました。

この辺りから少しずつ食欲が出てきて、果物やゼリーを食べ点滴を外すことができました。


15:00 リハビリ
手術翌日からリハビリがスタートします。

膝はほぼ動かせないので、軽いマッサージ、足関節(足首)の底背屈、膝の伸展(伸ばす)、といった内容。

↓手術翌日の右脚(ぱんぱんに腫れています。)


「昨日が一番痛いと思うから、今日は少し寝れると思いますよ。」
という言葉をもらい少し安心して、20分程度のリハビリが終了しました。


19:00
この日は怪我をしていなければ出場していたはずの試合がありました。

LIVE配信があるので夕食を食べ終えスタンバイ。
じっとしていられないので、うろちょろしながら試合観戦。

試合結果は負け、シーズン最後の試合が終了しました。
シーズンごとに勝率によってプレイオフ進出や降格などがありますが、リーグ残留という形となりました。
(来シーズンも同リーグでプレーができるということです。)

何はともあれ一安心。


23:00 消灯

試合を見た後での様々な感情に加え、痛みと疼きでじっとしていられず、立ったり座ったり無駄にトイレにいったりと02:00ごろまで寝ることができずにいました。

看護師さんに眠剤をもらい、しばらくして眠りにつきました。
眠りは浅かったようでしたが、4時間程度寝ていたと思います。

装着していたアイシングマシーンが全く冷えている気がしなかったので、痛みのある箇所にダイレクトに氷枕と氷嚢をしていました。

怪我に対してのアイシング効果については現在様々な見解がありますが、この場合の”痛みを感じにくくする”ということに関しては間違いなく効果があります。

直接冷やすために、巻かれている包帯とエラスコット(青いモフモフ)をかき分けてました。

↓エラスコット


巻き直すために、全部外してるところに看護師さんが入ってきて「え!外しちゃだめですよ!」と怒られました。

全て巻き直されて、装具とアイシングマシーンをばっちりセットされ元通りに、、、。
(リハビリの時に、「これ外していいって言われると思うよ」と言われていたので多分大丈夫。)




1月25日(木)

8:00 朝食
痛みはだいぶ落ち着いて、食欲も戻り完食。

12:00 主治医のドクターのチェック。
退院のタイミングを聞かれ、ここで明日退院することに決めました。

通常は3週間以上の入院となります。
何か特別な理由がない限り、ある程度長い期間病院のお世話になることをお勧めします。

私は、リモートワークのできる職種でないこと、ペットがいること、早く仕事に復帰したいといった理由があったため、最短での退院をさせていただきました。

この場合、外来でリハビリを受け付けてもらえる病院を探して紹介状を書いてもらいます。
退院後は、紹介先の病院でのリハビリとなります。

私は家から徒歩5分ほどの整形外科にお世話になることになりました。
(電話で聞きましょう。)

2月9日(金)に手術をした関東労災病院での診察があり、レントゲンやCTでの進捗チェックがあります。




14:00 リハビリ
退院が早いので、今後の回復スケジュールの話+軽くリハビリをして終了。

回復スケジュール
術後〜1w  曲げ伸ばしなし

術後 1w〜 曲げ伸ばし開始
術後〜4w  荷重なし(体重をかけない)要は4週間松葉杖。
術後 4w〜 1/3荷重(片松葉)
術後 5w〜 2/3荷重(片松葉)
術後 6w〜 100%荷重(この日から松葉杖なしで歩行可能)
バスケ復帰は術後〜約6ヶ月。

といった流れになります。

状態によって変動するようです。


16:00
看護師さんに、明日退院することを伝えて手続きを進めてもらいます。

この日からアイシングの氷も自分で調達しにいきます。
めんどくさいですが、じっとしていられない自分としては気晴らしになります。


20:00 夕食

23:00 消灯
ここではもうYouTubeを見るくらいの余裕があります。
ラジオを聞きながら寝落ちしていました。

ちなみに、術後5日間の入浴はNGです。




1月26日(金) 退院日

7:30 起床
看護師さんに起こされるまで寝ていたので、ぐっすりと寝れたようでした。

朝食を食べ退院の準備をします。

父親の迎えと、事務の方の会計手続きを待ちます。

手術費用や入院費用については、高額医療費制度や保険内容によって変動するので手術・入院の際はご自身でご確認ください。

ひとついえるのは、個室に3週間も入院したらとんでもない金額になるということです。

痛みの強い最初の2日間は個室、その後からは無料または金額の低い病室に移動することをお勧めします。


10:30 退院
病院の一階で退院手続きを終え、病院を出ました。
たった4日間でしたが久々に外に出た気分。

父親と昼食を食べ、帰宅しました。


ここまでが、受傷〜入院〜手術〜退院までのお話でした。


入院中は、面会に来てくれた方やメッセージをくれた方のおかげですごく救われました。

痛みもありますが、怪我をしてプレーができないことへの落ち込みなどメンタルにきていたこともあるので、色々な声をかけていただきなんとか持ち直すことができました。

実際にこのような立場になって初めて分かったことや感覚があります。
これについては、後半に書いていきます。

今後の私の活動にも大きく変化を生むことになるのではないかと感じています。


入院から退院までを書いた理由は、自分が入院する前にある程度流れが分かっていたらもう少し楽だったのではないかと思ったからです。

冒頭にも書きましたが、このコラムが同じような境遇にある人の目に触れて少しでも力になれたらという思いでいます。



では次に、なぜ怪我をしてしまったのか。
心と体のコンディションに触れながら書いていきます。





③なぜ怪我をしてしまったのか。(心と体)

心と体について、それぞれ書いていきます。
まずは体について。


◆体のコンディション

今まで色々な怪我を経験しました。

・左人差し指第一関節脱臼(ボルト固定)
・腓腹筋筋挫傷(ふくらはぎの軽度の肉離れ) 全治3週間
・右ハムストリング筋挫傷(もも裏の軽度の肉離れ) 全治2〜3週間
・左ハムストリング筋挫傷(もも裏の軽度の肉離れ) 全治2〜3週間
・左肩鎖関節捻(左肩の前面) 全治2週間

などの受傷経験があります。
筋挫傷は同じ箇所で複数回ありました。


上の怪我について、結論からいうと「睡眠不足」です。

学生〜20代前半までは、いくら睡眠時間が短くてもパフォーマンスは変わりませんでした。
ウォーミングアップをしなくても問題ありませんでしたし、怪我もありませんでした。

しかし、20代後半〜30歳ごろになると体のコンディションがプレーに影響するようになってきました。

睡眠時間が足りていないが調子が良い。
そんな時が時に危ないタイミングで、思っている以上に体に負担がかかり怪我に繋がります。

プロ選手ではないので、仕事をしながらの練習やトレーニングになります。
そうすると必然的に寝る時間が遅くなってしまいます。

睡眠については、ひとそれぞれ合ったタイミングや時間があると思いますが、やはりなるべく早い時間に寝るということが大切だと思います。(当たり前ですが、、、。)

体のコンディションについては”睡眠”ですね。
私の場合、これにつきます。

このリズムが崩れている時に怪我をしていました。

現在33歳ですので、日々のコンディションを受け止めてその日の練習をやり過ぎないということも必要になってくるかと思います。
(やりたくなっちゃうんですよね、、、。負けず嫌いなもので。)




◆心のコンディション

私にとっては、体よりも心のコンディションの重要度が高いです。

怪我に限らず、プレーのクオリティに直結する要素です。

リーグに参戦するようになってから、自分自身だけではなくチームに目をむけることが多くなりました。

これはチームリーダーとしては必要なことですが、目を向け過ぎていて自分のことに集中できていない時期があり全く結果を出せなかったことがあります。

これが私の最大の課題であり、これからも考えていかなければならないことです。

その日によってやる気に波があるなどではありません。
むしろ今まで気持ちの入らない練習は一度もないですし、そうなると反対にやる気に浮き沈みのある選手を見るとイライラしてきてしまうのです。

練習の出欠連絡をする、遅れるなら連絡をする、などの当たり前なことまで言わなければなりません。
こういったプレーと関係のない要素によって、自分が左右されてしまっていました。

リーグに参戦して、全員が当たり前のように勝ちたいと言います。
しかし「これじゃ勝てるわけないだろ」といった感情が生まれ、仲間への信頼も持てなくなっていきます。

要するに、
他人の言動・行動によって、自分自身のコンディションに影響が出る。
ということです。

これはいい部分であり悪い部分でもあると思っています。

私の性格や考え方としては、個人も大事ですがバスケットはチームスポーツです。
1人ではできないので、チームとして上がっていきたいと考えています。

しかしそれが強くなりすぎると、”勝手に期待して勝手に裏切られる”という状態になります。

これは本当にいいことがありません。悪気はないんですけどね。
バランスが難しいです。

ただ、先ほど書いたように自分にフォーカスができていないと自身のパフォーマンスが上がらず、チームに対しての発言にも影響力を持たなくなってしまいます。

こういった葛藤を繰り返して、今年の1stシーズンは良い心と体のバランスで挑むことができました。

そんな中、一度目の膝の受傷をします。

Alldayという代々木公園で行われるストリートチームのトーナメント。
通常のメンバーに数名加えての5on5のゲームでした。

この日は振り返ると本当にコンディションが良くなかったと思います。
ストリートチームは基本的に監督やコーチがいないので、誰がどのタイミングで出場するかなど選手達で決めます。

ここで私の悪いところが出ます。

助っ人できてくれた選手のプレータイム確保。
また、それに伴ったプレイタイムの少ない選手のフラストレーション。
不満を持つことは良いのですが、表情に出したりチームにマイナスに働く態度をとる選手もいます。
(どの集団にもいると思います。)

スルーできればいいのですが、まだまだ未熟でこういった些細なことでも左右されていました。

自分のことに集中しきれていないところで、事故ではありますが怪我をしました。

この時も思いました。「自分にフォーカスできていなかったな」と。


そしてここから復帰に向けてリハビリとトレーニングがスタートします。
SOMECITYの最終戦に間に合うかどうかといったところ。

無理に出場するつもりはなかったので、ほぼ欠場の予定でいました。

プレーできない期間も、週2回の練習参加していました。
プレーできない立場からチーム見ると、普段見えていないところまで見えるだろうと思っていたので、必要以上に口は出さないようにしていました。

気になること、納得いかないことはありながらも自分の復帰に集中していました。


そんな中、私の緊張の糸がきれる出来事がありました。

主要メンバーの、他チームとの勝敗による金銭の賭け。
チームメイトに対するリスペクトのない振る舞い。

基本的にストリートボールなので、何をしても構いません。

しかし、一歩引いた目線でチームを見れるようになった今でもこれだけは許すことができませんでした。
(もちろん前後関係があったうえです。)

このことにより、信頼感はゼロ。

そうなると、怒りなのか開き直りなのかわからない感情が生まれ、シーズンラストの試合は100%でできなくても出場してやろうという気持ちになりました。

もちろんある程度コンディションを戻すことが前提ですが、予定より1週間ほど早くプレーを再開しました。

調子は悪くなく、膝の違和感や翌日の腫れもなかったので順調だったといえます。


そこで、最終戦前の練習を迎えます。今回の怪我をした日ですね。

試合前にも関わらず全くエナジーのないチームメイトのプレーに少しづつフラストレーションが溜まっていきます。

すると全部自分がやってやろうという感情に。こうなったらもうダメですね。
相手選手とのやり合いは問題ありませんが、チームメイトに対してフラストレーションを溜めている状態は私にとっては良いコンディションとはいえません。

復帰から少しづつ強度を上げていっていたつもりが、ここで一気にハードにプレーをしてしまいました。

様々な感覚が全て戻っているはずもなく、些細な感覚のずれによって今回の怪我をすることとなりました。

練習後のミーティングでは、チームに対しての苛立ちが抑えられず「これで勝てるはずないだろ」と口にしていました。

冷静になった今ではすべて自分の責任だと思っています。
自分のコンディションは自分で整えるしかないですし、他人に左右されていては三流以下です。

今回の怪我でいい加減学べということだと思います。

“自分にフォーカスする”
これが私にとっては最も重要なことであると再確認しました。


実は今シーズンを最後に本当に可愛がっていたメンバーがチームを去ることになりました。
これも私にとっては大きかったかなと思います。

これについては細かくは書きませんが、怪我も含めて整理をして復帰に向かっていきたいと考えています。


チームスポーツは難しいですね。
何が正解かは誰も教えてくれないし、誰にもわかりません。

いつか自分の頑張りが報われることを信じて進んでいこうと思います。

そして私のこういった経験も、今後のバスケ指導において必ず生きてくると考えています。

学生の頃は自分の正確が悪い方にしか向いておらず、やるべきことをやらずに他人の文句ばかり言っていました。要は”腐っていた”というやつです。

同じような境遇の子達はたくさんいると思います。
そんな子達に早く大事なことに気づいてもらい、何か良いきっかけを与えられたら自分の経験も無駄ではないのかなと。




よって、

◆体のコンディション → ”睡眠”
◆心のコンディション → ”自分自身にフォーカスする”


この2つが大切だというお話でした。

要は、よく寝て自分と向き合えってことですね。

そうしていくと、結果的にチームとしてもうまくいくのではないかなと思っています。




他人の過失(あやまち)を見るなかれ
他人のしたこと、しなかったことを見るな
ただ自分のしたことと
しなかったことだけを見よ
[法句経・ダンマパダ.50]





④今回の怪我で感じたこと。

③である程度書いたのでこちらは簡単に。


◆お客様の既往歴に手術歴があった時、今までよりも相手目線で話ができる。

今までは、膝や腰の手術の経験があるお客様に対して知識ベースでしかお話できなかったのが、同じ目線に立ち経験ベースでお話ができるのではと考えるようになりました。



◆思い通りに動けない高齢の方が大勢いる。

病院のリハビリ室のほとんどが高齢の方達でした。
自力で歩けない、車椅子、歩行器の方など。

こちらも直接目にすると、より健康で自由に動ける体は大切だと感じました。

そこから回復する方ももちろんいますが、入院により認知症になり介護施設に入るなどのケースを多いようです。
きっかけは転倒からの骨折は多く、日頃の運動習慣がとても大事だといえます。

少しでも多くの人に運動と触れてもらう活動ができるのも私の仕事です。
(⑥の今後の活動で触れています。)



◆自分が考えていたことは間違っていないと思えた。

こちらも⑥と重複しますが、私のコンセプトはいつまでも自分で動ける体を手に入れてもらうことです。

膝の怪我で片脚がつけないだけで非常に不便と感じます。
私はしばらくすれば今まで通り歩けるようになります。
しかし、年齢を重ねてからの怪我や病気は体力を低下させていってしまいます。

今回の怪我で、より健康については強く考えられるようになりました。







⑤復帰時期や、今後の活動について。

◆復帰について

復帰時期は、今年の7月ごろになると思います。
しかし、今回は焦らずゆっくりと自分の体と向き合っていきます。

4月から新シーズンが始まりますが、ここへの焦りは不思議とありません。

“人事を尽くして天命を待つ”

自分のやれることをやって結果を受け入れようと思います。




今後の活動について。

私のメインの仕事は、パーソナルトレーナーです。
パーソナルトレーナーと聞くとボディメイクやコンテストを想像されることが多いのですが、私の一番のコンセプトは“怪我なく健康で動ける体づくり”です。

コンテストや、見た目のみを追求するトレーニングはその手のトレーナーさんやジムにお任せします。

もちろん、見た目も重要です。
もっとこういう見た目になりたい、結婚式までに綺麗になりたい、などといったお客様もいらっしゃいます。

しかし、その場合でもトレーニングをするにあたって“怪我なく健康で動ける体づくり”というコンセプトは変わりません。

もう少しお話をすると、最近では地震による大きな被害がありました。
今後もその可能性はあります。
そんな時、避難所まで自分の脚で向かえるか。
お子さんがいる方は、抱っこをしての移動もあるかもしれません。
時には走る必要があるかもしれません。

大袈裟かもしれませんが、生きるためには”体力”が必要です。

④で書いたように、自分の脚で歩けなくなってしまう方も多くいらっしゃいます。
歩けたとしても、膝や腰が痛くて外へ出ることが億劫になってしまうこともあります。

もちろん年齢による老化はありますが、なるべく早く”体力”をつける、維持するということは大切だと考えています。

ですので、今まで以上にこの分野にアプローチできるように活動していこうと思います。

病院との提携や、コラボレーションを行い、まずは多くの方に触れてお話をすることからスタートしていきます。


次に、バスケットボールの現役選手でもあります。

現在、小学生のバスケ指導を行なっていますがこちらも拡大していく予定でいます。

バスケ指導についての考え方はこちらを参照ください。
バスケットボール、パーソナル指導への考え方。

この内容に加え、怪我をしないための土台づくりや考え方。
また、怪我をしたときのケア、復帰までのサポートを選手に寄り添ってアプローチできると考えています。

怪我をした時に、しっかりと相談できる人がいるだけで驚くほど前に進むことができます。(心も体も)

もちろん大きな怪我がないのが一番ですが、正直スポーツに怪我はつきものです。
恥ずかしながら色々な怪我をしてきました。

しかし、そんな時こその選手の力が試されます。
現実を受け止め、どうやって先に進むのか。
子供達にそんな手助けをできたら私が指導する意味があるのではないかと考えています。


また、私自身はスポーツのパフォーマンスアップのためにトレーニングをしています。

ですので、”ビジネスマン+アスリート”のパフォーマンスアップにも力を入れています。
こちらは巷のパーソナルジムでは絶対にできないことです。
“ビジネスマン+アスリート”

アスリートのためのトレーニングとは。

ゴルフやテニス、マラソン、ボーリング、サッカー、バスケなどのスポーツをしている方が多く通っていただいています。

こちらは、”怪我なく健康で動ける体づくり”にも繋がりますね。



よって、

◆怪我なく健康で動ける体づくり

◆”ビジネスマン+アスリート”のパフォーマンスアップ

◆バスケットボールのパーソナル指導


こちらを軸に活動していきたいと考えています。

私がトレーナーになってから大きな進路変更はありませんが、今回の怪我を通してより明確になりました。

悩みや困っていることがある。目標がある。自分を変えたい。健康でいたい。
そういった方で、私のコラムを読んで共感していただけましたらぜひご相談ください。

何か力になれるはずです。




⑥現在の怪我の状態(随時更新予定)

回復スケジュールを再度。

術後〜1w  曲げ伸ばしなし
術後 1w〜 曲げ伸ばし開始
術後〜4w  荷重なし(体重をかけない)要は4週間松葉杖。
術後 4w〜 1/3荷重(片松葉)
術後 5w〜 2/3荷重(片松葉)
術後 6w〜 100%荷重(この日から松葉杖なしで歩行可能)
バスケ復帰は術後約6ヶ月。


現在、術後2週間ですが痛みは少しずつ軽くなってきています。
日中の痛みはほぼありませんが、深夜と早朝は少し痛みます。
(まれに痛みで目が覚めることもあります。)

家の中でも右脚がつけないので不便ではありますが、人間不思議なもので慣れてきます。

そこでお勧めなのが、ステッキです。
↓こんなやつ。


家の中での松葉杖はなかなか邪魔です。
こういったステッキがあるとふとした時に役立ちます。
(外の移動は松葉杖です。)

仕事はというと、ありがたいことにほとんどのお客様が変わらずトレーニングに来てくれています。
ベンチの移動やプレートの付け替えも手伝っていただき本当にありがたいです。

当たり前ではないですね。感謝してもしきれません。
1日でも早く通常のセッションが出きるように回復したいと思っています。


2月9日の診察が終わったら追記していこうと思います。


最後まで読んでいただきありがとうございます。

今後ともよろしくお願いいたします。



バスケについては、また少しづつ積み上げて皆さんの前でプレーできる日を楽しみにしています。

今はスーパー元気ですよ✌🏻


以上!


2024.2.9 追記

関東労災病院にてレントゲン+診察うぇお受けてきました。

経過は順調とのこと。

傷口のテープを外し、このタイミングで初めて傷口を確認しました。


傷口の感覚は徐々に回復しているようで、まだ100%ではありません。

思ってたよりリハビリが大変だなあと感じています。

では、また進捗・変化あれば更新していきます。

🙏

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